
以前からふるさと納税に関しては悪策だという持論を持っていたが、
つい先日、日経新聞朝刊のコラム「大機小機」に掲載されていた記事が
まさに自分の考えにドンピシャで、思わず膝を打った。
悪の根源は、公共サービスが持つ『共有地の悲劇』と呼ばれる特質に由来するのだ。
これは社会的ジレンマなどでよく使われる定説で、
周りと協力すれば誰にとってもいい結果であったものが、
自らの利益追求図ろうとしたため、最終的には誰にとっても悪い結果に
なってしまうことを意味している。(コトバンクから引用)
ようするに、1人だけが都民税の納付を1万円減らしてふるさと納税に振り向けたとしても
自治体のサービスがいきなり減ることはなくうれしい返礼品(牛肉や鮮魚など)が手に入る。
しかし、都民全員が行えば公共サービスは実際に1人1万円分減ってしまう。
結局、個人の欲求を優先するがために集合体総体の利益が損なわれることになるのだ。
ふるさと納税の本来の趣旨は、
豊かな都会の税収を地方に振り向け地方に活性化を応援するというものだ。
自分が受ける公共サービスを減らしてでも地方を応援したいというなら納得がいく。
しかし、現実には2,000円で手に入れられる返礼品目当てとなっていることが問題なのだ。
その上、各自治体も多くの寄付を集めるため、その部署にヒトやモノをつぎ込み、
さらにポータルサイト運営企業に多額の費用を払っているのが現状で、
せっかくの寄付が間接経費と返礼品に費やされ、
結果としてほんのわずかの寄付金が地方自治体に残る、という構図なのだ。
どうせ1万円を都会から地方に寄付するのであれば、
まるまる1万円が地方の活動に使われるのが本筋ではないか。
だってもともと1万円はまるまる1万円として都会の税金に使われるはずだったのだから。
『結局、ふるさと納税とは、政府が本来の趣旨説明を避け、国民に得だと錯覚させて
効率の悪い再分配をする制度なのである。』と記事では結ばれている。
まさに、おっしゃる通り!
グルメや旅行といったのブログを綴っている
裕福そうな暮らしぶりのブロガーと呼ばれる人たちの中には、
ふるさと納税で得た返礼品の数々を自慢げに載せているケースをよく見受けるが、
本人に「その悲劇の主人公」の自覚が無いことは確かだ。
ふるさと納税が続くのであれば、返礼品という通販サービスを無くし、
応援したい地域に全額寄付をする、という制度に改めてもらいたいと切に願う。
筆:黒沢